横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.378 令和の精神科【前編】

皆様あけましておめでとうございます。横浜院長の柏です。本年も当院、そして当ブログをよろしくご愛顧のほどお願い申し上げます。
今年もコロナ禍の中の新年となりました。オミクロン株の感染拡大はこれからが正念場です。われわれも院内感染予防に全力を尽くしますが、来院される皆様も体調管理をよろしくお願いいたします。コロナ禍で認められている電話再診のシステムもありますので、体調不良時には無理にご来院いただかなくとも大丈夫です。詳しくは当院受付までお電話にてお問い合わせください(注:現在通院中の方のみの対応となります)。
さて、当ブログも例によって新年企画といたしましょう。令和も4年目に入りましたが、令和元年をのぞきほとんどの時期がコロナとともにあるこの年代について、精神科の視点からちょっと考えてみました。私が医師になったのは昭和63年(1988年)。当時は今のような研修システムではなく、いきなり精神科直行でしたので精神科医になったのも同じ年です。翌年1月に昭和天皇が崩御されていますので、私達の学年は最後の昭和卒精神科医となります。なので、私が診療にあたってきたのはそのほとんどが平成年代。昭和〜平成〜令和と、精神科はどのように変化してきたでしょうか。
昭和、それも戦後の時代は高度成長時代。モーレツサラリーマンと呼ばれるように皆が会社に就職して終身雇用のかわりに会社に忠誠を誓ってバリバリ働き、燃え尽きた人々がメランコリアと呼ばれる従来型うつ病を発症する、という「メランコリアの時代」がありました。24時間戦えますか、というのは栄養ドリンク「リゲイン」のCMソング。リゲイン発売は昭和63年。CMは翌年の平成元年だったようですね。


平成はどうでしょうか。私が医師になった昭和の終わり〜平成初期はバブル時代。空前の好景気で、貯金は中期国債ファンドに入れておけば年率7%くらい平気でついていた時代です。しかし、バブルがはじけると宴は終わり、その後日本は失われた20年〜30年と呼ばれる不景気の時代が続きます。平成の殆どの時期はこれにあたるんですよね。そうした不景気の中、精神科・心療内科のクリニックがどこの街にも建つようになります。昭和の時代にはほとんどなかったことですね。長年続く不景気の中、うつ病は多様化し、非定型うつ病双極Ⅱ型障害などの診断名が増え、「新型うつ病」と呼ばれる適応障害のケースも増えてきます。職域においても問題が表面化し、平成9年(1997年)にNTT東日本病院で職場復帰プログラムが始まり、現在のリワークプログラムの隆盛につながります。そして平成11年(1999年)には日本初のSSRI(新規抗うつ薬)であるルボックス/デプロメールが発売となり、うつ病による通院はさらに一般向けに広がります。それまでの三環系抗うつ薬のような便秘・口渇などの副作用が少なく、より”ライトな”うつ病治療薬としてSSRIは売上を伸ばし、不安障害圏にも適応が広がります。こうして、平成の時代にはうつ病の多様化、精神科クリニックの乱立、SSRIの登場、と「誰でもうつ病の時代」と呼べるような状況が生まれました。
平成年代もう一つの大きな変化、潮流が成人期発達障害に関わるところです。発達障害者支援法が施行されたのが平成17年(2005年)ですから、平成後期を「発達障害の時代」と呼ぶのが適切でしょうか。ちなみに平成11年、平成17年はそれぞれわが家に長男、次男がやってきた年なので個人的に感慨深いところでもあります。
それまで子供の病気として認識されていた発達障害。平成年代にグローバリズムの流れの中で業務の効率化、チーム作業、チーム内コミュニケーションの重視などが標準化される中、そうした状況に適応障害を起こしてきた方の中から成人期発達障害がクロースアップされるようになり、福祉、職域などさまざまな領域でのニーズが医療領域にも押し寄せました。私自身、平成21年(2009年)に当院に移るまではまるで診療対象と考えてもみなかったカテゴリーです。発達障害者支援センターをはじめとする支援機関の整備が進み、当院開院4年後の平成25年(2013年)には最初のADHD治療薬であるストラテラが登場し、一般の精神科クリニックでも広く成人期発達障害の診療が行われるようになってきています。
さて、昭和、平成のこうした流れの中、令和の精神科はどういう方向に向かうのでしょうか。時代背景により、適応障害をおこす人々の様相は異なってきます。令和とはどういう時代で、どういう方々が精神科を求めてくるようになるのでしょうか。私の妄想は…次回を待て(^_^)。
今日の一曲のコーナーです。毎日寒いですね。極寒の時期に聴きたくなるのは極寒の地、ロシアの作曲家です。今日はラフマニノフにしましょう。前奏曲集作品32から第12番嬰ト短調を、キーシンとホロヴィッツの聴き比べでどうぞ。やはりこの2人は別格。甲乙つけられませんね。ではまた。
キーシン

ホロヴィッツ

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