横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.216 星を継ぐ者

横浜院長の柏です。エグゼイド、ゲームマスターまさかの復活ですね。しかし、完全に3枚目キャラとなってしまった黎斗社長。やはりこちらがラスボス…なのかな??さて今回も、通院中の方々向けというよりは専門家向けの内容となりますことをご了解下さい。
大学病院を離れ、当院で診療を開始して8年余りが経ちました。うつ病や統合失調症など、いろいろな精神科の病気と向き合う日々ですが、そのうち大学病院時代にほとんどなかったことが「成人発達症(発達障害)と向き合うこと」です。今でこそ成人発達症については一般向け、専門家向けと書籍もたくさん並んでいますが、大学にいた頃には発達障害といえば子どもの領域の本しかなく、研修医の頃に読んで以来遠ざかっている状況でした。よって、当院での成人発達症臨床は、発達症に詳しい師匠や友人から教わりつつも、実地で発達症の方々と接する中で、当事者のみなさんから教えられ、気付かされて築き上げた経験論的なものを中心に、私なりに組み立てて参りました。成人発達症臨床では薬物療法は補助的な治療に過ぎず、心理教育と呼ばれる生活場面・職業場面に即した特性の把握・支援や環境調整などが柱となります。たくさんの方々とふれてきたおかげで引き出しは多くなってますが、まだまだ教えられることの方が多いというのが診察室での実感です。
hitorigoto-216a.jpgさてそんな中、発達症臨床に新たな視点を与えてくれる、珠玉の2冊の本との出会いがありました。今日は、その1冊目をご紹介しましょう。
それは、内海健先生の「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐ人たちのために」です。内海先生は精神病理学の大家で、すでにうつ病や双極性障害でも素晴らしい論考を出されています。当然この本も期待して読みましたが、実際、期待を上回る内容でした。その白眉は「Φ(ファイ)」に関する部分です。(Φといえば、仮面ライダー555(Φ’s)が思い出されますね。今、YouTubeの東映特撮officialでやってますよ!)
人間の「自己」。「他者」と対峙するこの「自己」はいつ立ち上がるのか。
私は勝手なイメージとして、赤ちゃんはオギャーと泣いて生まれおちるところから自己が立ち上がり、それから徐々に周囲を理解するようになる、と考えておりました。しかし内海先生は、最初に他者のまなざしがあり、それに気づくことによって自己が立ち上がる、というのです。「自己は必ず他者に遅れる」…自己が立ち上がってから他者に気づくのではなく、他者に気づくところから自己が立ち上がる、のです。いややられました。この発想はなかったわけですが、これは自閉スペクトラムというパズルを解く重要なピースです。
内海先生は、最初に受けた(最初の人見知りの際の)他者のまなざしを「Φ(ファイ)」と呼び、このΦによって自己が立ち上がる、といいます。Φは自己が立ち上がる前の記憶であることから普段意識されることがなく、しかしそれが無意識レベルで他者を意識させ、他者へ指向性を持つようにさせているのです。しかし、中にはこのΦがうまく立ち上がらない人たちがいます。自閉スペクトラムと呼ばれる人たちです。Φが立ち上がらない彼らにとっては、他者は意識されず、他者と自己は地続きとなります。自閉スペクトラム症の様々な特性はすべてここから説明されますが、あとは本書を読んでいただいてのお楽しみ、といたしましょう…が、あくまでも専門家向けの本ですので、一般向けとしては難しすぎますのでご注意を。
Φが立ち上がらない自閉スペクトラム症の場合、自己の目覚めはもっと遅れてやってきます。しかし、それは直観(直感ではない)ではなく推論に基づくものとなること、時期がずれているために発達課題がまとめて来る、それも孤独な中で行うことになる、といった問題があり、それらは成人発達症臨床における重要課題そのものといえます。
Φの役割は、自己と他者(対象)を別の系として分離しつつ繋ぐことです。人間にとって世の中とはこの2つの系の綱引きであり、それは発達症に限らずあらゆる精神疾患を紐解く鍵となるものだと思います。
この本の副題「星をつぐ人たちのために」を見てまず思いついたのが、子供の頃読みふけった「星を継ぐ者」J.P.ホーガンのSF作品でしたが、あとがきを見るとやはりその本からつけた副題とのことでした。今日の一曲は、同じく子どもの頃に見たSF映画「2001年宇宙の旅」にも使われていた、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」にしましょう。当時カラヤン/ベルリン・フィルのLPに痺れてましたが、動画がありましたのでどうぞご覧ください。次回は珠玉の本、2冊めをご紹介予定です。ではまた。

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