横浜院長の柏です。先週の雪、意外と積もりましたね。悪天候ですとキャンセル続出ですんで、ゆっくりお話したい方は狙い目かも知れませんよ(^_^)…ただし、足元に気をつけていらして下さいね。
さて、前回の続きです。前回、昭和に「メランコリアの時代」、平成に「誰でもうつ病の時代」「発達障害の時代」があったというお話をしました。さて、時代は令和を迎えました。今日は、令和の精神科の現在地とこれからについて、例によって妄想談義(^_^;;を行いたいと思います。
令和といえば新型コロナウイルス感染症。令和元年の年末に中国で発生し、令和2年春以降は日本も席巻されまくりの状態が続いています。緊急事態宣言やマンボーが発令され、学校も職場もオンラインが主役になりました。ZoomやWebExなどが主要なコミュニケーションツールとなり、人と人との繋がり方も変化しています。もっともこれらはコロナ以前から徐々に進んできた技術であり、いずれはそちらに進んでいったと思われますが、コロナ禍のために一気に前倒しになりました。しかしあまりに急激な変化であったために、しんどくなった方々もあったのです。このあたりは、とくに発達障害関連についてNo.376でまとめましたのでこちらもご参照下さい。
まあしかし、この変化の今後として、コロナ禍が終わったらまたもとの生活に戻る、ということはないでしょうね。「新しい生活様式」などと呼ばれますが、マスク着用、無用な外出を避けるといった基本的な感染症対策は今後も数年〜10年程度は続く可能性がありますし、地球温暖化に伴い新たな感染症が次々に起こる可能性も否定できません。そして、テレワーク、オンライン授業、テレコミュニケーション、購入経路としての通販のデフォルト化などは今後も続き、定着していくでしょう。Facebook社が社名をMetaに変え、メタバースに注力するというのもその現れと思われます。現実空間を離れ、メタバースと呼ばれる仮想空間で世界中の人がコミュニケーションをはかり、一緒に仕事をする世界は決して空想世界のものではありません。メタバースは地理的限界を超え、国境すら凌駕します。最近私も海外あての紹介状などは、日本語で書いてDeepL翻訳に英訳してもらうのがデフォルトになってしまっておりますが(情けなや…)、メタバース上での会話が自然な言語に自動翻訳されるのも時間の問題でしょう。
世界中の人が、ここに集いともに学び、ともに働く世界。海外の学校で学び、海外の企業で働くことも普通となるでしょう。自分はリアル世界で、と思っても、農業も工業も物流もAIとロボット、ドローンが司ってしまうので仕事もなく、また出かける必要も人と会う必要もない…そんな世界になるかも知れません。職業のあり方も大きく変わるでしょう。ディズニー映画Wall-Eの描き出す未来社会が連想されますね。
実際、私の担当している患者さんでも最初から完全テレワークでの就労を果たした方も出てきました。事務系のみならず、コールセンターなども完全在宅でできるものもあるようです。働き方が変わり、生活の様式が変わり、人との関わり方が変わります。となると、令和の時代の精神科のターゲットは誰になるのでしょうか。
仕事のあり方の変化に伴い、昭和には高度成長期に燃え尽きのメランコリア、平成には働き方の変化で発達障害がクロースアップされてきました。今回も、働き方・生活様式の変化に翻弄されてしまう人々が出てくる可能性をまず考える必要があるでしょう。メタバース、サイバー空間が生活・職業空間となってくると、自閉スペクトラム症(ASD)の方々は意外と強いかも知れませんね。視覚優位、会話より文字によるコミュニケーションを得意とする特性がある人には望ましい環境かも知れません。
ASDの方の数は、21世紀に入ってから倍増しているというアメリカのデータもあります。これには環境説、出産時の母親あるいは父親の高齢化説などいろいろな仮説があるわけですが、私は、これは次の世代でむしろ必要とされることを察知し、必要な遺伝子群が活性化したのではないか、なーんて妄想を膨らませております(^_^)。
注意欠陥・多動性障害(ADHD)はどうでしょうか。多動衝動性の高いADHDの方々は、家から出られない自粛生活は相当なストレスだったはずです。メタバースの中で自由に動けるようになった時、ADHDの方々がどう反応するのかは興味深いところです。基本的には、明治維新のときの坂本龍馬のように変革の時代に強い種族と思われますので、底力を見せてほしいところ。
発達特性の視点から見ると、こうした大変革が令和の時代に起きた場合、適応障害を起こすのはむしろ定型発達者の方ではないでしょうか。IT革命が先行するアメリカでは、トランプを大統領にしたラストベルト、中間層白人はある意味IT革命の時代に適応障害を起こした人々とも言えます。わが国では、高度成長時代を支えてきた、真面目で保守的な人たちが危うい気もします。
時代の変化とともに精神障害の状態像は変化し、当然ながらわれわれ精神科医も時代に即した診療体制が求められます。時代の変化にアンテナを張り続け、こちらが適応障害を起こさぬよう、精進して参ります。
今日の一曲、極寒期のロシアシリーズ、今日はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」です。私がクラシック音楽に目覚めたのは小5の時に当時のCBS-Sonyの新聞広告で出ていた「ベストクラシック100選」のサワリLP(各曲のサワリ1分ずつくらいを収録したLP)をゲットしたところからなのですが、このシリーズの指揮者のエースがレナード・バーンスタイン。このシリーズをいろいろ聴いたあと、次は当時のポリドール・グラモフォンから出ていたクラシックのLPを買いあさりましたが、こちらの指揮者のエースがヘルベルト・フォン・カラヤン。当時はどちらも現役だったんですよね。両者とも鬼籍に入られましたが、彼らの現役時代を知ることができたのは名誉なことだと表地ます。今でもCDで、そしてこのようにYouTubeの動画で彼らの勇姿を見ることができるのは素晴らしいことだと思います。前回のキーシン/ホロヴィッツ同様聴き比べとしましょう。これまた甲乙つけがたい名演であります。ではまた。
バーンスタイン/ニューヨーク・フィル
カラヤン/ウィーン・フィル
コメント
いつも先生の興味深い記事を拝読させていただいております。
メタバース、サイバー空間その他オンライン化が進むとASDの方が優位となるかもしれないと先生は仰っておりますが、非ASDの定型発達者の方が人数的にマジョリティでメインの顧客になる以上、定型発達者に適したサービスに変化していくのではないでしょうか。
ネットの歴史を振り返っても、2000年代は確かに文字中心でASDに優位なサービスが多かったのですが、2010年代半ば以降ではネットの一般化に伴いインスタやTiktok、Youtuber、マッチングアプリなど、コミュニケーション能力に優れてお洒落で流行も追いかける、いわば社会性に富んだ人が勝者になるサービスが覇権を握ってしまったようです。
さらに言えば、特にインスタやマッチングアプリといったお洒落至上主義のサービスが普及したことで、現実の世界でも容姿や言動、センスといった人を判断する際の評価基準の厳しさが以前よりも爆上がりしてしまい、「チー牛」という言葉に象徴されるように、特に若い世代でますますASDやASDに親和的な人物が排除されていると感じます。
個人的な話ですが、最近Youtubeで1980~1990年代の番組をいくつか見る機会があったのですが、そこで出てくる一般人は良く言えば素朴な、悪く言えば、はっきりいってダサくてコミュニケーション能力も低く、今では明らかにコミュ障認定されるレベルでした。いかに最近のコミュ力の要求水準が高くなったか痛感させられました。
最近のネットはSNS普及を通じてむしろASDの排除を促進しているかのように思えます。
おそらくオンラインの世界がこれ以上拡張したとしても、主顧客である定型発達者にとって好まれる形で展開される可能性が高く、果たしてASDが活躍できるようになるかどうか私は疑問に感じます。
一読者さん
コメントありがとうございます。気づくのが遅れました(汗)。
このように反論をいただけるのはありがたいことです(^_^)
なかなか鋭い。ただ、(書き方が悪かったかも知れませんが)私はASDが優位となるとまでは言っておりません…。プライベートでのコミュニケーションの問題は依然残るでしょうし、ご指摘のようなSNSを介したさらなる困難ももちろんあります。あくまでも仕事や学業の場で、これまでよりも困難を減じることができるのではないか、というのが私の本題です。発達障害を抱えた方がクリニックにいらっしゃる一番の理由は仕事・学業ですので、ここが変われば精神科受診の態様は変わるのではないかと考えているわけです。
実際、オンライン授業やテレワークが増えてくる中で、私の体感では発達系の方のほうがこの変化を上手に使っている方が多いように見えます。
通勤やオフィスで感じる環境ストレスを減らし、チャットベースのコミュニケーション(あくまで仕事に関わることです)により口頭よりも理解がスムーズに。不登校だったのが授業をきちんと聞けるようになったASDの子もいました。
もちろん定型発達でもテレワークを上手に使いこなしている人もたくさんいますが、困難さが減じられる割合という意味では発達障害者の方が恩恵が大きいと思います。
第3次産業=サービス業が主体の社会となり、発達障害者の困難が表面化しました。第4次産業の時代がどのようになるのか、見守っていきたいところです。