横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.232 幻聴にいたる道

横浜院長の柏です。キンモクセイのよい香り漂う季節となりました。統合失調症のお話を続けましょう。
前回、自我が弱ってくるとまわりが違って感じられるようになる、というお話をしました。No.160でもお話しましたが、そもそも私たちはまわり(世の中)を正しく認識しているかというとそうでもないのですが、統合失調症の方の場合、それがより強い形で出てくることになります。まわりが生き生きと感じられない、膜がかかったような感じがする・・・こうした状態がさらに進むと、自己と周りの境があいまいとなってきます。自我障害がよりはっきりしてくる段階です。ここに至ると自分の考えが自分の考えかどうかもあいまいとなり、自分が考えていることが自分以外の人の「声」の形で聞こえてくるという現象が起こります。これは「考想化声」と呼ばれる症状です。私たちはものを考える時に日本語で考えているわけですが、それはとくに「声」という形ではなく、頭のなかで自動的に進行する作業です。そこがあいまいになると、それがどうも声、それも自分以外の声、として認識されてしまうようです。一種のコンピューターの誤作動のようなものでしょうか。さらには、その考えているのが自分の考えではなく、よそから吹き込まれていると感じる「思考吹入」(主体性が失われ、ロボットのように操られている感覚になるようです)、自分の考えが外に漏れまわりに伝わってしまうという「考想伝播」(頭の中で考えていることがみんなに知れてしまう、というのはとてもつらいですよね)などが自我障害の症状として見られます。
考想化声は自分が考えていることが声になる、というものでしたが、これが「自分が考えているのではないことが声として聞こえる」となると、これは「幻聴」と呼ばれます。統合失調症に見られる一つの典型的な症状ですね。これは自分ではない、他の人の声として聞こえるのが普通ですが、当然ながら他の人がいるわけはなく、本当は自分の頭の中で作り出された声なのです。しかし、通常の自分の考えとは違って認識されることから、そこはなかなか理解が難しいようです。次回は、この「幻聴」についてさらに掘り下げていきましょう。
かたいお話になっていますので、今日の一曲はやわらかく、久々にモーツァルトにしましょう。実にNo.101 以来、モーツァルトは当ブログではわずか2回目の登場ですね。歌劇「フィガロの結婚」序曲を、モーツァルトといえばウィーン・フィル、ムーティの指揮でどうぞ。ではまた。

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