横浜院長の柏です。前2回で、解離症とはなにか、その成り立ちはどうか、と話を進めてきました。ここからは例によって(^^;;ちょっと私の妄想モードで話を進めましょう。エビデンスなしのヲタ話として気楽にお読みください。ただし、ちょっと難しいかもですm(_ _)m
前回ご紹介したPutnamの理論ですが、乳幼児期に「離散モード」だった行動状態が大人になるまでに「有機的連結モード」を使えるようになるということは、それは正常な発育過程であり、解離症はその正常発達のどこかが妨げられた状態ということも言えるかと思います(すみません、Putnamの原著にあたっていない(だって高いんだもん(^^;; )ので本人がどう考えているかはわかりません)。解離症は大人になるまで「離散モード」が残っている状態、すなわち「有機的連結モード」への発達が一部妨げられた状態ではないかということです。もちろん、解離症は小児期から続くものと、成人期に発症するものがあるとされます。刊行されたばかりのDSM-5-TRで確認すると、解離性同一症は幼少期から老年までほとんどすべての年齢で初発として始まりうる、とあります。しかし、上述のようにかなりの割合でいじめや両親の不仲、性的虐待と発達段階での課題の存在が知られています。また同書では、離人症・現実感喪失症では、平均発症年齢16歳、20歳以上発症は20%にすぎないとあります。解離症全体として、なんらかの児童思春期のトラウマ体験が関わっている方が大部分である、というのが私の臨床的実感ではあります。
ここで妄想を進めて、発達障害との関係で考えてみましょう。「行動状態」という視点から発達特性をみると、ADHD(注意欠如多動症)における注意障害(不注意~過集中までの注意力のゆらぎ)や多動衝動性は、「離散モード」にあると言えましょう。これは、質的差異はありますが、病態水準、ポテンシャルとしては解離症と近い状態と考えられます。実際、解離症(とくに離人症など)に見られるぼうとした状態はADHDの不注意と誤診されることがあります。虐待やネグレクト、いじめなどのトラウマ体験による複雑性PTSDでは、上述の解離症状に加え、ADHDの衝動性と似た衝動的な認知行動パターンや情動制御障害を呈することもあり、とくに成人ではADHDとの鑑別は大変困難ですし、併発(重複)していることも多いことが知られています(No.314からはじまるスレッドもご参照ください)。つまるところ、ADHDと解離症はそもそも似たメカニズムから成り立っており、併発しやすいこととなります。
一方、ASD(自閉スペクトラム症)ではどうでしょうか。ASDでは、DSM-5-TRでは常同性/同一性/執着性と定義される「こだわり」が強く、柔軟に注意や行動を変化させることが苦手です。すなわち、ASDにおける行動状態は離散モードではありえず、といって有機的連結モード、と呼べるほど有機的ではない繋がり方で、あえて表現すると「固着的連結モード」という感じでしょうか。この行動状態モードでは、得意分野に固着連結した場合にはすごい力を発揮する可能性がある反面、世の中を幅広く認識するには困難が大きい状態です。
ということは、離散モードのADHDと固着的連結モードのASDでは「行動状態」がまるで違うこととなります。この両者については、DSM-5では併発が認められていますが、このようにベクトルがまるで逆を向いていることから、私自身はまったく別物と考えておりまして、それでも併発という現象が広く認められる理由については、No.384で考察しています。
この両者の併発について「行動状態」から考えると、ASDでは「有機的連結モード」が使えず、「固着的連結モード」のみでは不自由であることから、あえてそれとは対照的な状態である「離散モード」を取り入れることにより、認識力の幅を持たせるという戦略を取っているのではないか、という解釈(妄想)はどうでしょうか。ASDでもADHD同様に解離症状が認められますが、これもこうした考え方で説明できるのではないか。解離は外傷体験が引き起こすだけではなく、「固着的連結モード」に留まってしまいがちなASDの認識を広げる力を持つのではないか。他者視線への気づきが遅れ、自分視線からの1次元の世界に住みがちなASDが、解離を使い、上空から見た自分を用いることで定型発達者と同じような2次元、3次元の世界認識を持つことができる…というのはちょっと考えすぎでしょうか。
さて、なんだか難しい話になってしまいましたね。今日の一曲は、ロドリーゴのアランフェス協奏曲にしましょう。通常はクラシックギタリストの領域ですが、今回は変わり種、フラメンコ・ギターの名手カニサレスとファンホ・メナの指揮するNHK交響楽団の演奏はいかがですか。フラメンコらしく情感ゆたかで、アドリブに富んだ名演です。有名な第2楽章は7分16秒頃からとなります。ではまた。
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