横浜院長の柏です。前回、解離症(解離性障害)について大まかな説明を行いました。今回は、そんな解離症の成り立ちについて考えてみましょう。
精神症状の多くは、生命体としての人間が生きていくために必要な機能として、あるいはその誤作動として見ることができます。人間の持つ原始的機能として、近くに外敵がいる場合、不安・緊張・恐怖のメカニズムが働きます。身の危険が不安を惹起し、生き残る確率を最も高くする方策を無意識レベルで選択します。交感神経の働きを高め、筋緊張を高めていつでも「闘争か逃走か(fight or flight)」という選択をできる状態にします。不安は生き残るために必要な機能でして、不安ゼロだったら危険な行動も平気でしてしまうわけでして、道に飛び出してあっという間に車にひかれてしまうことでしょう。しかし、何事も過ぎたるは及ばざるが如し。本来不安となる必要がない場面でも、不安が惹起されてしまうのが不安症(不安障害)です。目の前にライオンが現れたら発動すべき「闘争か逃走か」状態が、ごく日常の通勤電車の中で現れてしまいます。火災報知器が誤作動してしまうのがパニック発作であり、日常的に不安の閾値が下がってしまうのが全般性不安症です。不安が急性の危機に対する対処とするなら、慢性の危機に対する対処がうつとなります。このあたりについては、過去ブログNo.122, No.123をご覧頂くこととしましょう。
では、解離はどういうメカニズムで起きてくるのでしょうか。精神医学の中でもかなり専門的な領域になるので、私などがお話するのは気恥ずかしいところですが、3年前に内輪の勉強会で野間俊一先生にお話いただいており、その時の記録をもとに書いてみることにします。
解離というと、どうしてもトラウマやアタッチメント(愛着)の問題を避けて通ることはできません。われわれも、解離を呈する患者さんと出会うとまず考えるのはそれらの問題が隠れていないか、ということです。実際、もっとも顕著に解離が現れる解離性同一症の場合、海外の報告ではその7-8割に性的虐待体験があるといいます。わが国でも、6割にいじめ体験、3割に両親の不仲、3割に性的虐待体験があるとのことです(野間先生による)。虐待やいじめのような精神的・肉体的苦痛の大きい状態に置かれた時、先に述べた不安やうつの発動では身を守るのに間に合わず、さらに強力な防衛機制を働かせるのでしょう。それは、自らの存在を外界と切り離すという戦略です。「いま、ここ」にいるはずの自分を飛ばしてしまう。「ここ」すなわち空間的存在としての自分を飛ばすのが離人です。強いストレス状況に置かれた自分を飛び出し、上から暴力を受けている自分を眺めるもうひとりの自分を生み出す。こうした状況が繰り返された時に、その度に新たな自分(人格)を生み出してしまうのが多重人格=解離性同一症です。そして、「いま」すなわち時間的存在としての自分を飛ばすのが解離性健忘です。つらい出来事が、あるいはその前後の記憶がぽっこりと抜けてしまいます(決して嘘をついているわけではない)。本当につらい出来事は、人間のこころや体をも破壊してしまうのでしょう。解離は、そうなる前にその状況から逃げ出す(「闘争か逃走か」の「逃走」)ことにより身を守ろうとする、人間にもともと備わった機能と考えられます。しかし、その時は身を守るために必要でも、それがその後の日常生活にまで出現すると、かえって困ることになります。解離する必要のない日常生活、あるいは軽いストレス場面でも容易に解離してしまう…それでは日常生活や仕事、学生生活に大きな支障が出るため、解離症の治療が必要となるのです。
解離症の成り立ちにはいろいろな理論がありまして、最近流行りのポリヴェーガル理論では、背側迷走神経が凍りつき~解離と関連しているという理論立てをしています。私がよく理解していないだけかも知れませんが、どうも私にはこの理論はよくわからず、また解剖学的・生理学的な根拠に乏しいと思われますのでパスさせていただきます。私が興味深く感じたのは、Putnam が1997年に提唱した離散的行動状態モデルです(中井久夫による日本語版はこちら)。彼は一連の行動のパッケージを「行動状態」と呼び、心理学的・生理学的変数のパターンからなる独特の構造を成しているとします。乳幼児はその時その時で好きなことをして、それもどんどん別のことに興味をもち、行動もすぐに変えてしまいますが、彼はこの状態を行動がバラバラに~離散的に~存在すると考えます。大人になるにつれてこれらの「行動状態」同士が有機的に関連を持つようになるが、外傷体験があるとそれらの行動状態間のスイッチングが突発的で不自然になる…それが解離だというのです。なかなか示唆的なモデルだと思います。
(注:原著にあたれていない(絶版で古書は高いんだよね(汗))ので違っていたらすみませんです)
なお、誤解があるといけませんがすべての解離症がトラウマ・アタッチメントの課題にもとづくわけではありません。とくに発達段階では軽い解離はよくみられることとされており、イマジナリーフレンドと呼ばれますが頭の中で友人を作って会話したり一緒に遊んだりすることも知られています。
ここから先、Putnam理論から発して私の妄想モードに入っていくのですが、ちょっと長くなってきたので今回はここまで。次回をお楽しみに(^^)。
今日の一曲は、久々にオルガン曲にしましょう。バッハの小フーガト短調BWV578です。実は私は青山学院大学でも教えていたりするのですが、その青山キャンパス・ガウチャーホール(入ったことないけど)での演奏でどうぞ。ではまた。
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