横浜院長の柏です。ASDとADHDの類似点について書いているはずが、さて謎のタイトルですね(笑)。30年以上Apple信者の私、当然ながらスマホはiPhone。ここまで3GS, 5, 6s, XSと買い替えてきました。そのペースですと次はiPhone12だったのですが、XSで困りごとがないことから12も13も見送り、今年の14Proを狙っていました。しかし、バタバタしているうちに発売日を見逃し、気づいたら納期1ヶ月とかなっており(汗)、萎えて15待ちになっているのが現状です。まあXSまだまだ元気ですし、困ってないからいいんですけどねぇ。
さて、今日はこのスマホの性能をキーワードにASDとADHDの類似点についてまとめるという荒業を繰り出しますが(^_^;、その前に以前のブログでお話したASDとADHDの脳の特徴についてもう一度まとめておきましょう。
ASDについては、No.341でお話しました。大きな脳:「刈り込み」が遅れるがために定型発達者と比べて必要以上に多くの配線が残ります。定型発達者では、胎生期、そして生後数年の間に外界からインプットされる情報に応じて神経回路の刈り込みが行われ、必要な回路が残り、必要度の低い回路は淘汰されます。母親の視線をキャッチしたのちは、母親をはじめとする他者の認知行動パターンをインプットし、それを基準に必要な回路が残されていきます。それに対しASDの場合、生まれた時点で大きな脳〜定型よりも多い配線を有しており、圧倒的な情報量が脳に流れ込みます。この情報の洪水に流されて母親の視線に気づき損ねるわけですが、その後も刈り込みの遅れもあって、その圧倒的な情報量が脳に流れ込む状態がデフォルト…それがASDの本質と考えます。
一方のADHDについては、No.343でお話しました。こちらは逆で、小さい頃には大脳皮質、皮質下領域ともに容積が小さいというデータがあります。ADHDの障害に関しては、ワーキングメモリの障害(容量が小さい)が知られています。ワーキングメモリとは目の前の情報を処理するための作業机のようなものです。その机が狭いために本や資料を十分広げられず、効率的に作業ができない状態が、ADHDにおける困りごとの本質と言えます。まあ、このことと上述の容積の小ささとの関連はわかりませんが、いずれにせよ定型発達者と比べた場合、脳の特徴はASDとはむしろ逆の方向を向いています。
まとめますと、ASDでは外界からの情報がうまくフィルタリングされず全部入ってくるためにオーバーフローを起こす状態、一方のADHDでは情報のフィルタリングは問題ないが、ワーキングメモリが小さいためにその情報がオーバーフローしてしまう状態です。メカニズムは違うが、両者に共通するのは情報処理過程においてその情報がオーバーフローしてしまう点にあります。ASDでは社会コミュニケーション障害とこだわり、かたやADHDでは注意障害と多動衝動性、とメインの症状は異なりますが、現実にはASDとADHDの区別をつけるのが難しい、あるいは併発が指摘されるのはこうした「情報のオーバーフロー」という共通点があるから、という点もあるのではないかと考えました。
では今回のタイトル、スマホの性能、という点からもう少しわかりやすく説明しましょう。毎年新機種が発売されるiPhone。どんどん性能が上がっていきますが、おもにCPUの性能(頭の良さ)、メモリの容量(ワーキングメモリ)、カメラの画素数(外界からの情報)の3つが大きいところでしょう。外界からの情報ではマイク・スピーカーの性能やwifiの速度なども関係しますが、ここでは単純化してカメラにて説明します。Zoomで会議をしている状況を思い浮かべてください。では、これらを発達障害、知的障害に当てはめて考えてみましょう。この議論は極端に簡略化していることを了解の上でお読みください。人間の場合、外界からの情報は五感から来ますし、さらには過去の記憶の読み取りも行われます(ハードディスクの読み取り)が、ここは簡略化して画素数を入力情報として話を進めます。
- 知的障害:CPUの性能が十分でない。情報処理能力が十分でない。
- ASD:画素数が高すぎる。そのため、膨大な入力情報のためメモリはオーバーフローし、CPUはそれを処理しきれない。
- ADHD:メモリが足りない。そのため、入力情報はそこでスタックしてしまい、CPUは不十分な情報での処理を余儀なくされる。
ここで、新旧iPhoneのスペックを並べてみましょう。ここではASDとADHDの比較のため、メモリ容量と画素数のみを表記します。
ここで、6年前発売のiPhone7を基準に考えてみましょう。この機種は、そのまた7年前に発売となったiPhone3Gと比べると、画素数で4倍、メモリは8倍にそれぞれ拡張されています。
ここで、メモリだけをiPhone3Gのものと取り替えてみましょう。これまでと同じ作業を、8分の1の大きさしかない机でやりなさいと言われているのと同じですね。カメラが捉えた動画がカクカクとなるのは想像しやすいと思いますが、これをメモリ不足=ADHDのモデルと考えます。
次に、iPhone7のカメラだけを、iPhone14のものと取り替えてみましょう。
今度は、机の広さは変わらないが、ドサッと前の4倍の資料を渡されて机の上においた状態ですね。同じメモリに4倍画素の動画を送りつけられたらこちらもカクカクしますよね。こちらは画素過剰=ASDのモデルと考えます。
このように、メカニズムは全然違うけれども、画素数>メモリという不均等がASDとADHDに共通する特徴であり、これが両者の類似性を生んでいるのではないか、というのが本日の仮説提起です。なお、これは決してASDが優れているとか、ADHDが劣っているとかいうことではないことにご注意ください。脳に限らず人間の体はいろいろなパーツの構成体となっており、それぞれのパーツの性能は高すぎても低すぎてもうまくいきません。全体としての調和が一番とれた状態が最高のパフォーマンスを提供できます。発達障害の診療も、それぞれの方々の発達凸凹の有り様に各自が思い至り、よりバランスが取りやすい認知行動パターンを身につけていくことがその目指すところなのです。
今日の一曲は、シューベルトの交響曲第7番ロ短調「未完成」です。昔は「運命・未完成」とセットで呼ばれ、ベートーヴェンの第5とともに交響曲の代表作として不動の地位を占めていたのですが、今はあまりそうは言われないかな。さらには、かつてはこちらが第8番で、「ザ・グレイト」とも呼ばれるハ長調交響曲が第9番(つまり7番は欠番)だったのですが、いつの間にか未完成は7番に、ハ長調が8番になっていますね。私はまだ8番の印象が強いんですよね…。今回は、カラヤン指揮ベルリン・フィル1979年の東京公演のライブ演奏でどうぞ。やはり定番曲はカラヤンでないとね。ではまた。
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