横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.390 福岡学会忘備録〜トラウマを中心に〜

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横浜院長の柏です。福岡で行われた日本精神神経学会学術集会も無事終了しました。会期中留守にしたこと、戻って今週外来が混雑したこと、いずれも学会前後はいつもご迷惑をおかけいたします。今回は、古い薬シリーズを一回休みとさせていただき、学会の感想など書いてみようと思います。
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精神神経学会は日本の精神科領域では一番大きな学会で、精神科専門医・指導医を司るなど日本の精神科をリードする立場にあります。学会の出席が専門医更新のためのポイントとなることなどもあり、コロナ禍前は数千人規模の参加者を集めておりました。コロナ禍で一昨年はweb開催、昨年からはハイブリッド開催(現地 +web)となりましたが、昨年はまだ参加者が少ない状況でした(私は、毎年シンポジストを務めているため、昨年も今年も現地参加を強いられています…)。今年は、以前ほどとは言わないまでもそこそこ参加者が戻ってきた印象がありました。私はここのところずっと(たしか6年くらい連続で)昭和大学の岩波明教授と一緒にシンポジウムをやらせていただいておりますが、今年は「発達障害の薬物療法」と題して、座長を務めるのと同時に、旧知の滋賀医大・尾関教授、いろいろお世話になっている大宮市のすなおクリニック・内田直先生、昭和大の若手・鈴木先生と4人でシンポジストを務めました。
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私のお題はADHDの薬物療法ということでしたので、同じ神経伝達物質再取り込み阻害薬である抗うつ薬とADHD治療薬の薬理学的な比較、そこから導き出されたノリトレン(三環系抗うつ薬)のADHDへの応用の可能性についてお話させていただきました。A会場(ホール・大会場)でしたが、大勢の方々にお越しいただき、質疑も含め充実した時間を過ごすことができました。
初日に発表が終わるとなかなか気楽なものでして、その後はゆったりといろいろな演題に顔を出しましたが、今年は期せずしてトラウマ関連の演題中心に回ることとなりました。精神科業界でも流行り廃りがありまして、ここしばらくは「大人の発達障害」がブームを形成し、それ関連の演題では部屋が満席立ち見になることが続いておりましたが(なのでわれわれの演題も大会場になったかと思われます)、今回はトラウマの部屋がなかなか混んでいて立ち見も出ており、次のムーブメントはトラウマ、PTSD、複雑性PTSDといった流れが来るように感じられました。
国立精神・神経医療研究センター(NCNP)の金先生たちのグループは、東大農学部の喜田先生たちの基礎研究を発展させる形で先進的なPTSD研究を進めています。喜田先生たちは、PTSDで見られる恐怖記憶が体験時の「恐怖」とその時に五感で感じた「文脈」とが関連付けられた条件付け記憶であること、それが遺伝子発現依存的な「固定化」のプロセスを経て長期記憶に移行することに注目し、記憶の再固定化と消去のメカニズムの研究から「再固定化を不安定にとどめる」「消去を素早く誘導する」といった戦略を提唱。それと関連して筑波大の坂口先生やNCNPの栗山先生は、睡眠中の恐怖記憶処理への働きかけ(音刺激、断眠など)によるPTSDの新規治療法を模索しています。断眠療法はうつ病への効果などが報告されていますが、PTSDの場合全断眠が必要らしい…です。また、喜田先生たちは、治療法として記憶忘却の促進にも注目し、海馬神経新生の促進が記憶忘却を促進することから、現在認知症治療薬として使われているメマンチン(メマリー®=NMDA受容体阻害薬)が海馬における成体神経新生を劇的に促進することに注目し、マウスにおいてメマンチン処理を行うと社会的敗北ストレス課題において不安行動の亢進が減少することや、攻撃マウス以外への忌避行動が減少することを示した。NCNPの金先生たちはPTSD患者に対するメマンチンの有効性を検証する治験を行い、10名中6名がPTSDの診断基準を満たさなくなった、という画期的な結果を示しました。症状改善はPTSDの全症状クラスターにおいて認められたとのこと。トラウマの話をせずに治療できるのはまったく画期的なことでして、早く臨床応用できるようになってほしいものです(認知症の薬なので、若い人に適応外使用するのは困難なのです)。
二日目は、これも金先生による複雑性PTSD (cPTSD)のシンポジウムに出席。久留米大の大江先生から、まもなく日本語版が出るであろうICD-11におけるcPTSDについての説明、そして複数の先生から治療法としてSTAIR, Narrative Therapy(NT)について、またいつもわかりやすい原田誠一先生による臨床実践の話など。ついで大江先生主催のワークショップ、さらには松本俊彦先生たちによるcPTSDへの治療技法のシンポジウムとはしごしました。一日PTSD, cPTSD漬けでおなかいっぱいという感じでしたが、専門的治療(PTSDにおける持続エクスポ−ジャー療法(金先生によると8割治ると!すごい!)、cPTSDにおけるSTAIR-NTなど)の進歩の次元と、しかしわれわれが一般外来でできることの工夫の積み重ねの次元と、それぞれ前に進んでいることが確認でき、有益な一日でした。
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資料として、大江先生から紹介されたサイトをご紹介しましょう。
大江先生のご著書「トラウマの伝え方」は久留米大におけるトラウマ治療実践の記録です。Amazon売切からやっと届いたところでこれから読むのですが、誠信書房のサイトに、久留米大で作成されたトラウマ心理教育に関する資料が無料ダウンロードできる形で置かれています。大江先生からも、ぜひご活用くださいとのことでした。
また、これも大江先生から当日ご紹介があったものですが、武蔵野大学心理臨床センターのサイトではトラウマ支援コンテンツが充実しています。こちらも当事者、支援者ともにお役立てください。
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成人期発達障害臨床ではトラウマの問題を避けて通れないところで、またそれ以外の精神疾患においても背景のアタッチメント、トラウマの問題は大きな要素です。当院としても、トラウマ臨床により力を入れていきたいと考えています。学会はハイブリッド開催で、7月1日からはオンデマンドでほとんどの演題を視聴できるようになります。来院中の皆様に貢献できるよう、さらに勉強を重ねていく所存です。
今日の一曲は、映画「シン・ウルトラマン」から最終盤対ゼットン戦のテーマ「原罪に身を置き」です。人類の最後の審判にふさわしい一曲です。ではまた。

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