横浜院長のひとりごと

横浜院長のひとりごと No.231 原始霧

横浜院長の柏です。都内の大学で講義を引き受けているのですが、今年は夏期集中講義として先週今週と休診日に丸一日の講義を繰り返していました(疲)。準備に追われ、ブログ更新が遅れましたことをお詫びいたします。
さて、統合失調症のお話を続けましょう。精神科の病気には、パニック障害や急性ストレス障害のように突然はじまる病気もありますが、一般的にはゆっくりじわじわと、目立たない形ではじまり、気がついたらはっきりと症状が出てきて診察室にいらっしゃる、そういう病気が多いのです。うつ病も双極性障害も、そして統合失調症も、通常はその「ゆっくり型」です。一見、突然幻聴が聞こえ、妄想に襲われたように見えても、よく経過を追ってみるとその数年前から、なにか活気がなくなる、物事が楽しめなくなるなどの変化が起こっていることが多い。それまでは明るい性格で、小学校では学級委員なども務めていた少年が、高校に入った頃から性格が変わったように大人しくなり、成績も徐々に降下。次第に学校に来られなくなり、一年後にはぶつぶつと自室でひとりごとをいい始める…。
ここで、普段私たちがどう世界を見ているかを考えてみましょう。今ここで、ものを考え、話している「自分」がいる。それに相対する形で、自分の外の「世界(外界)」がある。自分はその外界の中にいて、しかし自分は自分という唯一無二の存在であるという、わざわざ言葉にはしませんが当然の「前提」があります。こうした、唯一無二の存在としての自分の認識、それが「自我」です。統合失調症では、まずこの「自我」が弱ってきます。すると、その「自我」に相対するものとして「外界」の認識も変化してきます。世の中が、なにかよくわからないがこれまでとは違って感じられる。なにか、これまでのように生き生きと感じられない。まわりの人の動きがロボットのように見え、まわりがくすんで、色彩が乏しくなったように見える。友人と会話をしていても、何かこれまでと違う…違う世界の人と話しているような気になる。あるいは、自分だけが世界から置いていかれている、世界から隔離されている、自分の周りがなにか膜のようなもので覆われている…そのような感覚を訴える方もあります。自分が、外界が、これまでとは何か違っている。深い森の中に、霧の中に、投げ出されたような感覚。これは「自我障害」と呼ばれ、統合失調症のはじまりであり、またその中核となる重要な症状なのです。
では今日の一曲。森の中、霧の中、というと連想されるのはブルックナーの交響曲の冒頭部分ですね。彼の交響曲は、そのほとんどが「ブルックナー原始霧」と呼ばれる、弦楽器のトレモロからはじまります。今日は、日本が誇る朝比奈隆の振る第4番をどうぞ。「ロマンティック」と唯一副題がついた交響曲です。森の中、朝霧の中に立ち上がる中世の古城のイメージが浮かびます。この曲のように霧が晴れ、生き生きとした日常が帰ってくることを願い、お聞きいただければと思います。ではまた。

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