横浜院長の柏です。摂食障害の項も仕上げに入りましょう。前回までと重複しますが、治療についてまとめます。まず、極端な低体重、低栄養であれば内科的身体管理が優先です。30kgを切る状況であれば、原則として入院が必要です。身体的に一定のレベルが保たれ、外来治療が可能と判断された場合、薬物療法と精神療法が治療の柱となります。薬物療法は、拒食の成分として見られる強迫性に対してはフルボキサミンなどを、過食の成分として見られる気分症状に対しては抗うつ薬、気分調整薬、抗精神病薬などを状態に合わせて使用します。精神療法は、いろいろな流儀があるわけですが、私個人は対人関係療法(IPT; interpersonal psychotherapy)が最も有効だと考えています。IPTについては、当ブログでも何度か登場していますが、ここから派生したIPSRTの説明が先になってしまっております。この機会に、IPTの概要をお話しすることにしましょう。
摂食障害の方では、そのほとんどの場合に病気の根底には対人関係の問題が潜んでいます。そんなことはない、と診察室でおっしゃる方も多いのですが、そうでもないんですよ。そもそも、かつてかのサリヴァンが「精神医学は対人関係論である」と喝破した通り、摂食障害に限らず当院に来院される方々の問題を解きほぐしていくと、かなりの割合で対人関係の問題が重要な位置を占めていることがわかります。ただ、うつ病などの場合には対人関係の問題は一旦棚上げして、標準的なうつ病治療のみで十分改善する方も多い(もちろん、IPT的関与が必要なかたもあります)のですが、摂食障害に関しては、対人関係の問題はその中核的な部分であり、避けては通れないものです。
IPTについては、麻布で診療にあたられている水島広子先生のHPに説明がありますのでご一読いただければと思います。「重要な他者」との「現在の関係」にフォーカスした「短期集中型」の精神療法です。より詳しく知りたい方は先生の著作に進んで下さい。摂食障害の方の場合、この本をご紹介して、ご一読いただいてからIPTを取り入れた治療を行うことが多いです。「取り入れた」というのは、本格的なIPTセッションは1回一時間程度が必要であり、当院の診療体制では困難が大きいことから、そのエッセンスを取り入れて精神療法に生かすという現実的な対応を行っているということです。
IPTでは、問題領域として「悲哀(死別への異常な悲哀)」「不和(役割期待のずれ)」「役割の変化」「対人関係の欠如」の4つの領域を考え、そのどれかを扱っていきます。一般的には、摂食障害の方の場合「不和」「変化」が多いですかね。進路を巡る母親との葛藤。高校進学後の友人関係の変化。思春期にありがちな、様々な葛藤状況が摂食障害の扉を開くことになります。IPTでは、こうした問題を整理し、自尊心を取り戻すことで改善をはかっていきます。
私は、大学にいた今から7−8年ほど前から、麻布での水島先生のIPT勉強会にしばしば参加、研鑽を積ませていただいてきました。次回は7月に参加予定です。たまに麻布の街のオサレな雰囲気に触れてくるのが楽しみでもあります。
今日の一曲コーナー。リクエストもありましたので、モーツァルトにしましょう。実は私、モーツァルトはどちらかというと苦手分野です。天才だとは思うし、素晴らしい曲だとは思うのですが、何かしっくり来ない。ベートーヴェンやショパン、あるいはブルックナーやマーラーで感じる何かが、モーツァルトではまだ感じられていない、そんな気がするのです。昔から、これは老後の楽しみに取っておこうと思っていたのですが、そろそろわかりたいものですねぇ。
今日はヘ長調のピアノソナタにします。中学時代でしたか、第一楽章を練習していた時にちょっと悲しいことがありまして、今でも聴けばそのことを思い出す、私にとって大切な曲です。音楽と記憶は重なるものですね。ホロヴィッツの天才的演奏でどうぞ。
コメント
先生、モーツァルトをどうもありがとう。
日本は対人関係の距離が欧米より密接で、誰でも多かれ少なかれ感じている窮屈さが、精神疾患のみならず、ストレスからくるあらゆる病気を引き起こしているように思えるのです。滅私奉公っていうんですかね。滅私したら奉公もできないだろうと欧米人に言われそうです。
モーツアルトはかしこまって聴くというより、ごろっとしながらなんとなく流しているのが心地よいと私は個人的に思います。何にも音がしていないのも落ち着かないので、流している、要するにBGMです。ドラマチックじゃないところが疲れません。でも、あのつけ入る隙がない計算されつくした感じは、逆に苦手な人がいてもおかしくありませんね。獣医だった伯父が、やはりベートーベンは好きだけれどモーツアルトは嫌いだと言っていました。
Anonymousさん
どういたしまして。よい形で響きますように。
まねきねこさん
おっ、伯父様お仲間だ。
計算されつくしているのか、それともまるで計算のない天才なのか。
それすらわからないのがモーツァルトなんですよね・・・。