横浜院長の柏です。新年ですので、普段書かないようなことを書きましょう。今日は日本の教育について持論を述べてみます。あくまで「ひとりごと」としてお聞き下さいね。
悪夢のゆとり教育による日本の学力低下がようやく終わろうかというこのタイミングで、今度は大学入試改革案が物議を醸していますね。この国は一体どこへ向かおうとしているのでしょうか。TOEFL、英検、簿記などが評価されるのはまあよいとして、私は下記の点がすごく気になっています。
1)基礎レベルのテストは、「基礎的な教科について知識だけでなく、活用力や思考力など幅広い学力を検証する」
「詰め込み教育」などと批判されますが、私は成長期のある時期、知識を思い切り詰め込むことはとても大切なことだと考えます。これは脳科学的にも正しいはずです。たぶん。
ただでさえ、今の子供達は早くからIT検索に慣れてしまい、「覚える」という作業の位置づけが下がっているように見えます。わが家のIT坊主しかり。知識がきちんと頭に入っていなくて、論理的思考ができるのでしょうか?
そして、活用力、思考力といいますがどういう問題を出すおつもりでしょうか?そもそもこれは基礎レベルではなく発展レベルの領域ではないですか?これまでも、二次試験では数学、物理、現国、歴史など相当な思考力を要求する問題はいくらでもあるわけでして。東大二次の数学なんて、芸術ものの素晴らしさですよ。
2)発展レベルのテストは、「知識偏重の1点刻みの選抜にならないよう、試験結果はレベルに応じて段階別に表示」
どうも日本の教育関係者は、ぬるま湯のゆとり教育の呪縛から抜けられないのでしょうか。試験とは1点を争うものです。入試しかり、スポーツしかり、オリンピックしかり。こんなぬるま湯体質でやっていて、今後国際競争を勝ち抜く気があるのかと首を傾げたくなります。
3)各大学の2次試験で、面接や論文などを通じて「人物本位」の本質的な能力を総合的に評価していく
面接、論文でどこまで18歳を評価できるのでしょうか。私も、大学の入学後健診での面接、採用面接などいろいろ経験しました。精神科医として人を見抜く力はあるつもり(ホンマか・・・)ですが、それでも短時間の面接で一人の人間を評価するというのは至難の業です。論文に至っては、素晴らしい小論文でワクワクして面接に挑んだらガッカリだった、という経験もあるのでさらにあてにならないと考えます。
何だかんだ言って、これまでの日本の入試システムは素晴らしいものです。学力偏重?知識偏重?いいえ、必要だから偏重されているんです。そもそも大学は勉強するところです。10代後半の頭の柔らかい時期にどっぷりと勉強し、知識を詰め込むこと。これが、20代以降の発展の基礎になるのです。
そんなに知識詰め込んでも、大人になったら忘れちゃいますよね?だったら意味がないんじゃないですか?、というそこのあなた。それは違います。知識はたしかに抜けていきますね。(ところで、抜けるのは困りますが抜けないのはもっと困ります。いやな記憶も時間とともに抜けるから、みんなうつにならずにすんでいるんですよね。)
でも、知識は抜けても「知恵」が残ります。“wisdom”ですね。この「知恵」が、その後世の中を渡っていくための重要な糧となるのです。そしてさらに、この日本の若者の「知恵」の集積が国力となり、世界の中での日本のプレゼンスの向上につながります。戦後の豊かな日本を支えた技術力、国力を担う次の世代のためにも、よりよき大学入試となってほしいと切に望みます。
最後に皆様にお年玉です。本日発売のHanako「女性に優しい病院探し&不調ケア」(1月9日号)に当院が掲載されます!小さい記事ですが、よろしければぜひご覧いただければと思います。
コメント
「知識と知恵」
…体調崩してからだいぶ時間がたち、これまで得てきた「知識」が指の間からこぼれ落ちる砂のように日々なくなっていくように感じ、それがまた不安となって負のループになってしまいます。
何年か何十年後かに、この経験が「知恵」となり、また更に失った「知恵」を再取得できる日が、そ ういう気力が安定的に沸き上がる日が戻ってくるといいなぁ…と感じました。
そんなことを思いつつ感慨にふけって終わる…と思いきや、
そこはさすが柏先生、オチをつけてきましたね!
Hanako(しかも表紙がキティ!)に掲載されるとは。
柏先生ファンの男性陣には、なかなかハードルが高いかもしれないですが。
…女子に生まれてよかった(人´∀`*).。:*+と強く思いました(笑)
でも、もちろん待合室の1冊に加わるんですよね?
独身の時(って今もですが)、元妻とのデート場所探しに「Hanako」購入していたので抵抗ないですね。
大船のクリニックでも読めるし。
学力が低下して、大学入ってから講義の内容についていけるか?
ですね。
mos-mosさん
お名前から私の頭の中ではモスラのイメージ全開です(^_^;
Hanakoですが・・・私も昨日の朝、平然とコンビニで買っております。
えっ僕だけ?と思ったら隊長さんも仲間なので安心しました(汗)。
受付に、待合に置くよう頼みましたので少々お待ちください。
「知識」はこぼれ落ちても、「知恵」はなくなっていませんよ。
そして、病気と過ごした時間は貴重な「知恵」としてさらにその上に積み重なります。
豊穣な未来を楽しみに待ちましょうではありませんか。
私は、自分が受けた時代の教育には、意義ありませんね。先生と同じ、いわゆる詰め込み教育と呼ばれた時期でした。私は東京オリンピックの年生まれです。栄光の64年、昭和39年組です(あと半年で半世紀も生きたのか!)。円周率は3.14でしたよね。今は3倍だとか。
確かに、思考力を発達させるには、知識も必要だと思います。知識と知識を組み合わせて考えていく力は、決して無駄ではありません。
適切な例ではないかもしれませんが、私は先日、人身事故の影響で、乗っていた電車が運転を見合わせてしまいました。その時、どこの線に乗り換えて、どこの駅まで行ってどのバスに乗って自宅までたどり着くか、何通りかを考えていました。上大岡の駅までなんとかたどり着いたのですが、自分が乗りたいバスの乗り場はすでに長蛇の列。どこが一番後ろかもわからず、バスもきっと何台か見送らなければいけないような事態だったので、今度は別の経路のバスを考えました。
慣れない場所で人ごみにもまれ、かなり動揺していましたが、いろいろ考えることはできました。大した事ではないのですが、知識と知識をつなぎ合わせる、という作業は案外、日常の中で必要になることがあると思います。この先、また大きな地震など、どんなことが起きるかわからないのですから、知識、情報などを集めて考える、判断する能力は常に養う努力をしなければならないと思います。
まねきねこさん
ご指摘の通り、非常時に知識は身を助けます。
病気も同じことで、正しい知識を持つことはきちんと治るための必要条件だと思います。
そのために、ここでも正しい知識をお伝えできればと思っております。